見立区の沿革

1970年代後半
京都府亀岡市南部と大阪府茨木市北部に隣接する山間部の見立地区に、 松風台地区が別荘地として誕生する。 亀岡市の建築基準無指定地域(白地地区)と茨木市の市街化調整地区の狭間で開発が進み、 茨木市青少年野外活動センター(夏場のキャンプ場)に至る大型車両の通行規制のために茨木市教育委員会はボールとコンクリートブロックの車止めを設ける。
1980年代
高度経済成長と共に、四季折々の自然に恵まれ茨木市、高槻市、大阪市までの通勤も可能な立地から、 マイホームを求める若い世代の入居家族が年々増加の一途をたどり北地区、南地区、松風台の三区に居住する世帯は220世帯を超えて、 見立地区は大阪の北摂北部の新興住宅街となる。
1997年10月
見立区内の道路部分を自治会名義にするために北区自治会、南区自治会は亀岡市認可地縁団体とし法人化する。
1998年
バブル経済の崩壊後、1991年に開発業者の倒産により、南区内の1万平方メートルほどの生活道路が、 業者の不渡りと税金滞納のため銀行・大阪市に差し押さえられ、住民負担で買い取る。
1998年
南区自治会は区内の道路を亀岡市の市道認定にすべく登記作業を開始する。
19798
水道施設の老朽化のため、南区で4基ある給水パイプを一千万で取り替える。
1999年
自治会用地の斜面にあんずの木を200本植樹。 『あんずの里』として開設。
1999年
不在地主の好意により 『見立こども広場』 を開設。
2000年12月
住民の転居防止のために、大阪府の福井高校に編入の道を拓く。
2000年12月
衆議院総選挙で 66.86% という、これまで最高の投票率を記録する。
2004年
北地区にて、住民が3,500万円を投じて新規に飲料水用井戸を掘削する。
2007年9月
亀岡市長・府議会議委員・市議会議員を迎え、地域懇談会を見立区集会所で開催する。
2007年11月
見立活性化推進協議会を新たに組織する。 世帯数は178世帯。
2008年3月
MBS(毎日放送)で茨木市側のポールとコンクリートブロックの車止めに関して取材を受け放映される。
2008年5月
TBS(東京放送)で茨木市側のポールとコンクリートブロックの車止めに関して取材を受け5月4日に放映された。